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お絵描き中!

イラストレーターYukiの雑記

日本のエスカレーターは遅い?「万人向けであること」の良さと苦しさ

最近ではブラック企業を連想させるためか、マイナスなイメージが強くなった「お客様は神様です」という言葉。社会問題になるくらい、日本ではなぜか「お金を払う側がエライ」という概念が根強いようです。

 

ベルリン在住の漫画家・小栗左多里さんの、下記の言葉が印象的でした。

 

 

(日本では)お金を払う人が上で、お店の人は下っていう構造がすごくはっきりしている。ドイツはもっと対等なんです。「何だったら売らないよ」みたいな(笑)。

 

 コミックエッセイ劇場「鼎談 小栗左多里&トニー・ラズロ×オーサ・イェークストロム」より

 

 

接客のバイトをしたことがある人なら、この「何だったら売らないよ」ができたらどんなにいいか…と思った経験が、一度はあるのではないでしょうか。

 

日本のサービス提供者も、「当店がお気に召さないのでしたら、どうぞご利用をお控えください」ぐらいの態度でいられたらいいのに、それがなかなかできないのはなぜでしょう?

 

何となく、私たちの国では、「合わない人は来なくていいよ」という態度をとると、ちょっと「ふてぶてしい」と見られてしまうというか…「万人に笑顔を向けるべき」という通念があるのかな?と感じます。

 

 

八方美人を目指さなければならない?

芸能人が非難され、叩かれる現象にも、同じことを思うことがあります。彼ら・彼女らも、「私を嫌いだという方は、支持してくれなくてけっこうです」と言えたら楽でしょう。でもそれが難しい背景には、やっぱり「万人から好かれようと努力する人が、好ましい。そうでない態度はふてぶてしい」という雰囲気があるのでしょうか。

 

「可愛さ」とシュールさやグロテスクさを織り交ぜた独自の世界観が人気のファッションモデル・歌手のきゃりーぱみゅぱみゅさんが、テレビ番組「情熱大陸」でインタビューに答えていました。彼女は握手会でファンから「可愛い感じだけがいい。次の作品はシュールな感じは無くして、可愛い感じだけにしてみてよ」と言われ、「あっ、だったら応援してくださらなくていいです」と返したのだそうです。

 

「1人でも多くの人から好かれることを目指す」のではなく、「自分という人間を、そのまま好きになってくれる人だけに支持されたい」という、彼女のような姿勢がもう少しだけ、色々なところで受け入れられるようになったら、今苦しんでいる人たちがもう少し生きやすくなるような気がします。

 

 

 誰向けのエスカレーター?

「万人向け第一」が前提なのは日本独特の特徴なのでしょうか?興味深い事実があります。「エスカレーター」は、日本ではすべての人が安全に乗れるようにと設計されているのに対して、ヨーロッパではそうではないそうなのです。

 

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経営者・吉越浩一郎氏は著書で、外国から日本に帰ってくると、エスカレーターのスピードの遅さに驚くと書いています。「世界標準から見ると、日本ではスピードが半分くらい」なのだそうです。

 

吉越さんは日本のエスカレーターの遅さを、「子供や高齢者に合わせて、一番遅いスピードに設定しているのだろう」と推測しています。そして、「確かにそのほうが安全かもしれませんが、子供や高齢者に合わせることで社会全体としては巨大な損失を生んでいることも事実」と問題視します。

 

 

ヨーロッパでは「エスカレーターには危険もあるから、自分で責任が持てる人だけ乗ってください。責任を持てない人はエレベーターや階段を使ってください」というあくまで自己責任に基づいた考え方です。子供にエスカレーターを使わせるのは危ないと思う親は、子供に階段を使わせます。

 

また、弱者に対しては別の形での配慮をしています。

私がフランスでよく行くスーパーでは、カートをエスカレーターに乗せるとタイヤがエスカレーターにがっちりと入り込んで、手を離しても動かないようになります。

 

世界標準の働き方

世界標準の働き方

 

 

つまり、ヨーロッパのエスカレーターは「万人向け」に設計されてはいないのです。たくさんの多様な人々に対して、同時に「万人向け」であろうとすることは弊害も生むのだなと感じた例でした。

 

 

多様性を前提とした世界へ

ヨーロッパのエスカレーターは弱者に厳しいかもしれない。でも、万人が乗れるようにした日本の遅いエスカレーターがすべての人にとって快適かというと、そうでもない。吉越さんは「弱者に合わせることで、一般の人の効率を置き去りにし、しかも安全意識を薄れさせている面がある」とも指摘します。

 

多種多様な人々に同時に受け入れられようとすると、どうしても妥協案に落ち着いたり、最低限の機能しか持たないものになってしまって、結果、社会は最大限のパフォーマンスを発揮できない。社会はこれから「万人向け」ではなく、様々なタイプの人に対して、それぞれに最適なものを用意する方向へ進むべきなのかもしれません。

 

 

ここまで読んでくださって、ありがとうございました!

Yuki