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イラストレーターYukiの雑記

日本人は「中立性」が可能だと思ってる?

日本と世界 考えたこと

多数の人に向けて発信された文章に対してしばしば向けられる批判が、「これは中立の立場からの意見ではない」というものです。

 

多くの人に向けて考えや意見を発信するとき、「中立の立場で書くべき」なのでしょうか。

 

大好きなライターの近藤雄生さんが、このことについて、素敵な文章を書かれていました。

 

 

「偏りこそが文章の命」

下記は近藤さんのインタビュー記事(「自分探しの旅」あえて僕は賛成!-『遊牧夫婦』著者・近藤雄生- | TABI LABO)からの引用です。

 

 

「昔は、とにかく中立の立場から文章を書くことが大切なんだと考えていたような気がします。でも今はある意味全く逆で、偏っていた方が面白い、と思っています。」

 

 

 

「すべての文章は、いくら主観を排そうと思ったとしても結局は書き手の意見が反映されていきます。とすれば、変に中立を装うのではなく、自分の立場や気持ちを明確にした方が読者に対してフェアだと思うしわかりやすいとも思います。」

 

 

 

「ぼくはそういった、書き手のいい意味での「偏り」こそが文章の命だと思っています。(中略)ただ、ノンフィクションはその自分の主張や考えを、事実をもとに組み立てていくというのがルールです。自分の人生観や考えを、事実によって読者になるほどと思わせる。面白いノンフィクションというのは、それがうまくできていると感じます。」

 

 

tabi-labo.com

 

 

ただ「中立な立場」で情報を伝えるだけだったら、事実だけ箇条書きにしてもいいはずなんですよね。

 

でも、それを「その人が書く意味」はなんなのか?自分が読者として本やブログの文章を読むときにも、書き手の人柄がにじみ出ている部分に、心が反応しているような気がします。

 

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そもそも「中立」は可能なのか

考えてみると、そもそも「中立の立場に立つ」ということは可能なのだろうかという疑問が浮かんできます。

 

2016年夏、自民党が、党のHPで「学校教育における政治的中立性についての実態調査」への協力を募ったことが物議を醸しました。

 

自民党「政治的中立を逸脱した教員を教えて」 ネット上で批判相次ぐ「密告を呼びかけるのか」

 

「教育現場には中立性を逸脱した教育を行う先生がいることも事実」とし、「政治的中立性を逸脱」した教員の事例を報告するよう呼びかけたのです。

 

調査への協力を呼びかける自民党のページは、現在は削除されていますが、当初下記のような文章が掲載されていたということです(一部抜粋)。

 

 

…不偏不党の教育を求めているところですが、教育現場の中には「教育の政治的中立はありえない」、あるいは「子供たちを戦場に送るな」と主張し中立性を逸脱した教育を行う先生方がいることも事実です。

 

学校現場における主権者教育が重要な意味を持つ中、偏向した教育が行われることで、生徒の多面的多角的な視点を失わせてしまう恐れがあり、…(以下略)

 

 

この事例についてしばらくモヤモヤしていたのですが、先に引用した近藤さんの言葉がとてもしっくりくるような気がしました。

 

近藤さんの「変に中立を装うのではなく、自分の立場や気持ちを明確にした方が読者に対してフェアだと思うしわかりやすい」という言葉、「読者」を「聞き手」、この事例の場合は「生徒」に置き換えると、本当に納得できるご意見だと思うのです。

 

ポッドキャスト『バイリンガルニュース』の話し手・Mamiさんも、この事例に対して「先生が”自分はこっちに偏ってます”と立場を明らかにしてくれた方が、生徒の側も自分の意見を作れる」とコメントしていて、その通りだと思いました(Mamiさんがこの事例についてコメントしているのは、バイリンガルニュースのエピソード#245)。

 

そしてMamiさんの「日本では中立性が可能だっていう認識がある」というコメントを聞いて、私は「そうか、それって外から見たらおかしいくらい特異なんだ」と、はっとさせられたのでした。

 

教育現場の先生に「中立」を装わせたら、先生たちは自分の考えを何も言えなくなってしまいます。

 

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 先の引用文で、自民党は「学校現場における主権者教育が重要な意味を持つ中…」と書いていますが、「自分は偏っている」ということを表に出さない先生による教育では、「主権者教育」は決してうまくいかない気がしてなりません。

 

主権者とはしっかりと自分の意見を持つ人のことで、意見を持つということは偏るということ。従って、主権者教育とは「偏る練習」であるはずなのですから。

 

 

最後に

最後に、社会心理学の専門家・小坂井敏晶先生による名著『社会心理学講義』の序文に書かれた、中立性に関する本質を突いた指摘をご紹介します。

 

 

科学的思考は客観性を重んじますが、それは中立性とは違います。学問においても政治においても中立な立場は存在しない。客観性の追求は、主観性の絶え間ない相対化の努力に支えられます。

 

 

 

「偏りたくない」と言っている限り、きっと何者にもなれない。

恐れずに、偏ろう!

それこそが、他ならぬ「私」や「あなた」が文章を発信する意味ですから。