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お絵描き中!

イラストレーターYukiの雑記

健全な諦めーブラック企業で戦う選択、戦わないという選択

考えたこと 仕事

過去の記事に書いてきたように、会社員時代には、職場の方針や人間関係に関することで、様々な悩みを抱えていました。

 

yuki222.hatenablog.com

 

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特に2つ目の勤務先は、十数人程度の小規模な事業所であったことから、「この規模の組織なら、頑張れば変えられる」という思いがあり、「おかしい」と感じたことに対して、私はしばしば一人で声を上げました。

 

上からの理不尽な要求に対して不満を持ちながらも、陰で小言を言い合うだけの他の社員たちに対して、「どうして声を上げないのか」「おかしいと思うなら抵抗するべきだ」と思っていました。

 

でも今振り返ってみると、そこまで頑張って戦わなくてもよかったかもしれない…と思うことがあります。

 

それは、「意見の合わない他人に、わかってもらう」ということがどんなに困難なことかを知り、要したエネルギーに見合う成果が得られないことがほとんどだとわかったので、「健全な諦め」とでも言うべき態度を身に付けたからだという気がします。

 

こんなことを書くと「投げやりになってる」とか「斜に構えてる」と思われるかもしれませんが、そういうつもりじゃないのです。

 

コラムニストのジェーン・スーさんは、著書で「仕事において人と正面からぶつかるのをできるだけ避けるようにしている」と書いていました。その理由が、正面から声を上げ続けてきた私にとっては、とても納得のいくものでした。

 

 

それは、信頼関係が築かれていない相手に正論を吐いて、襟を正してもらえた試しがないからです。

 

「あなたは間違っている!」と指摘して、はいスミマセン直しますなんて言う人は、性別や年齢に関係なくほとんどお見かけしない。報われない気持ちで、こちらが消耗するだけでした。

 

正しさを問うて人質を解放するゲリラがいないのと同じ。向こうには、信じて疑わない教義があるのですから。

 

 

 

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その場所ごとに「ここではずっとこうしてきた」というやり方があると思うし、この社会で、そのやり方で長年生き残ってきたのなら、それが正しい部分もあるのかもしれません。

 

社会に出て、働いて、人とぶつかったりもして学んだことは、学校の勉強と違って、「本当の社会」では、どんな考えにもどこかしら正しい部分があるということでした。

 

意見が合わない人をなかなか説得できないならば、それは相手の考えにも、ほんの少しは正しいところがあるからかもしれません。

 

そういうときは、まずは落ち着いてリラックスした状態で、一人でよく考えてみる。相手の考えにも一理あると思えるかどうか。相手の主張の中の重要な部分を、相手が至極大切に思っている理由が、理解できるかどうか。それを、感情的にならずに検討する。

 

そしてやっぱりどうしても同意できないと思う場合、行動の選択肢は少なくとも2つある。

 

一つは、主張したり、交渉するなどして、戦うこと。

 

もう一つは、戦わずに、黙々とその場所を離れる準備を進めること。

 

以前の私は「意見が違うなら戦うべきだ」と思っていたかもしれません。もう少し穏やかな言い方をすれば、「意見が違うなら話し合うべき」と思っていた。

 

でも、「話し合わない」という選択をする自由もあるのかもしれません。その選択を取る人に対して「なぜおかしいと思うのに声を上げないのか」と憤るのは、筋違いだったかもしれない。

 

確かに誰かが声を上げなければ状況は良くならないのですが、「わかり合えない相手を、わからせようとしない」という態度は「健全な諦め」であって、「戦う勇気」とともに、臨機応変に使いこなしていくべきかも…という気がしてきました。

 

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勇気を出して声を上げて、状況を変えていくことは、たしかに前進するためにとても大切なこと。「諦め癖」をつけたくはありません。

 

けれど声を上げない人に対して憤り、「おかしいと思ってるなら声を上げるべき!」と叫ぶことは、新たな押しつけの始まりです。

 

そして、無理に戦ったり、耐え続けたりして、心身を疲弊させてしまうのは一番避けたいこと。

 

正面から戦ったり、時に諦めたりしながら、皆それぞれが自分の方法でストレスに対処しているんだよね…と、あの頃から数か月だけ大人になった今では思います。